≫
人物一覧・
合戦一覧・四方山話・用語集≫
【人物の紹介】→
次の武将
|
1600年の関ヶ原の戦いでは西軍につき桑名城を守るが、主力の石田三成達が負けたため東軍の池田長吉らの説得に従い城を明け渡す。 【豊臣家に尽くす】そのまま浪人となり荻野道喜と名を変え、若狭の京極高次と播磨の池田輝政の間を往来し暮らしていたが、1614年の大坂の陣が起こると大坂へ入城した。夏の陣直前には徳川家康から10万石の領土を条件に誘われたがこれを断り最後まで豊臣軍のために尽した。1615年5月8日、大坂が落城した時に自害する。
するとその通りに小田原征伐の最中に秀吉から、桑名の城を授けると約束されます。その後、行広が桑名に入城した際、草津の宿の亭主に感謝のしるしとして引き出物を渡し「これから上方に向かう時はそなたの宿を利用する」と約束したそうです。
また関ヶ原の戦いの時に本多忠勝から東軍につくように言われますが、秀吉から恩を受けているのでそれは出来ないと断っています。また冬の陣の直前にも家康から誘われていますが「自分は不肖の者で、関ヶ原の戦いからずっと弓馬の道を捨てているので、お断りします」と言っています。
参考文献:大日本史料(第十二編15〜20)・戦国人名事典 コンパクト版・桑名市史・関ヶ原の役
関連書籍など:桑名の歴史 Copyright (C) 2001-2002 Tikugogawa. |
≫
人物一覧・
合戦一覧・四方山話・用語集≫
【人物の紹介】→
次の武将
|