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しばらくして大谷吉継の家臣となり京都へ移った。しかし1599年に宇喜多秀家の家臣となり2万石を与えられる。関ヶ原の戦いでは、明石全登と共に宇喜多軍を指揮し奮戦したが、西軍が敗戦したため近江堅田に隠棲した。
しかし1604年に前田家を辞して今度は上杉家に仕える。そこで重臣・直江兼続の娘と結婚し養子となり、名前も直江勝吉と変えた。だが妻が亡くなったため上杉家を去り前田家に戻り再び3万石を与えられた。
大坂の陣に従軍したが真田幸村の挑発に乗り、全軍を真田丸の攻防に巻き込み大損害の原因を作ってしまう。しかしそれでも政重の地位は揺らぐことなく、それ以降も前田家の国家老として政治を執り補佐した。1647年3月に隠居し大夢と号し、6月3日に死亡した。
管理人・・・気の短さで何度も主君を変えたのにすぐ他の大名に招かれているということは、親父さんの威光もあったでしょうが本人の実力もかなりのものだったのでしょう。 参考文献:三百藩家臣人名事典・戦国武心伝・戦国人名事典 コンパクト版、ほか UPDATE 2002年4月30日Copyright (C) 2002 Tikugogawa. |
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