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【初陣】冬の陣が始まると、八丁目口を守る一軍の将に抜擢される。1614年11月26日、大坂城の北、今福の砦を佐竹義宣軍が攻撃し砦を落とした。これを見た豊臣軍は、大坂城から木村重成・後藤基次両隊を再奪取に向かわせた(今福の戦い)。重成はこの冬の陣が初陣であったが、敵に臆することなく立ち向かい、佐竹軍を窮地に追い込んでいる。結局は徳川軍の上杉景勝軍が援軍に来たため撤退したが、重成の名前が全軍に知れ渡ることになった。
5月6日午前2時、大坂城を出撃した木村重成隊は若江で藤堂高虎の両軍と衝突する(若江の戦い)。藤堂軍の右翼を破った重成は、展開していた兵を収拾し昼食を取らせると敵の来襲を待ち構えた。 この時、家臣が「兵は疲れており再度戦えば敗北は必至」と諌めたが重成は「この程度の勝利はものの数ではない」と一蹴している。その時、井伊直孝軍が木村隊の前に現れ戦闘に入った。重成は家臣達の諌めも聞かず、敵陣へと突撃を開始。だが西郡の堤の上で井伊軍の庵原朝昌の十文字槍に幌をかけられた後、安藤重勝に首を取られている。
【覚悟のほど】討ち取られた重成の首は、後日家康の元に持ってこられ検分されるが、この時、頭髪から香が薫り家康が大いに褒め称えたという話しが伝わっている。
大坂城にいた譜代の武将の中では、良識派だったようで、浪人達の意見も聞いてくれてそれを結構、秀頼の元まで届けてくれていたようです。特に後藤基次には心服していたみたいです。この人、もっと早く生まれていたらもっと活躍してたかもしれません。何にしても一途な若者はいつの時代でも、見ていて清々しいですね。以上、皆に惜しまれつつ逝った重成さんでした。 参考文献:大坂の陣―錦城攻防史上最大の軍略・真田戦記・大阪城の七将星
関連書籍など:豊臣氏 Copyright (C) 1999 Tikugogawa. |
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