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【出世】大坂の陣では徳川秀忠に従い1615年の正月には使者を勤める。1616年に7千石を加増され奏者番となり、1618年にはさらに8千石を加増され上総大多喜に移封された。1619年に2万石を加増され相模小田原に移封され、1623年には5千石を加増されて武蔵岩槻に移封される。1625年に1千石を加増され5万6千石の朱印状を与えられた。
【島原の乱を乗り切る】1626年に3万石を加増され合計8万6千石の大名となり大坂城代となる。島原の乱が起きると板倉重宗とともに九州の諸大名に出撃命令を出した。1647年11月14日大坂城で死亡。法名・英隆院殿豪翁覚了大居士。岩槻市の浄国寺に葬られる。
正次は島原の乱が起こった時に本当は江戸の指示を仰がないといけないにも関わらず、時間がないと判断して重宗と一緒に独断で諸大名に命令を出しています。しかし諸大名は武家諸法度を守って動きませんでした。徳川家光は法度を守った諸大名を賞し、また正次らの判断も妥当だとお咎めはなかったそうです。 以上、幕閣の一人として、また西国の押さえとして大坂城代となり幕府を支えた阿部正次さんでした。 参考文献:江戸幕閣人物100話・三百藩藩主人名事典・戦国人名事典 コンパクト版、ほか UPDATE 2004年4月9日Copyright (C) 2004 Tikugogawa. |
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